羊は供え物
ラマダン明けのイードから70日目に、またイード祭(犠牲祭)という行事があります。
神様に息子を捧げたイブラヒム(アブラハム)を記念して、今は羊を供え、それを食します。
その捧げる羊はというと、カルツームでは、街はずれの国道の両側に、その時期だけ羊の市場が現れます。
その売り場ときたら、車で走っても走ってもまだ続く・・・というくらい
たくさんの羊屋さんが、この時とばかりに出店する大きな市場なのです。
そのおじさん達(店主)は、その期間、羊と共にそこに寝泊まりをして売ります。
自分たちが育てた羊を高値で売りたいので、数十頭の放し飼いにした羊の下には、新鮮な草を敷き詰め、良いエサを与えているかのようなパフォーマンスも怠りません。
お客は、もう慣れているので品定めが上手です。
肥っていると脂肪が多く、痩せていると肉が少なくおいしくない、だから時間をかけて見て回ります。
でも、なじみの羊屋さんを決めて、買い求めていく人が多いですね。
ちなみに羊は一頭買いですが、ここ数年で一頭の金額が3倍ほどに上がっているので
裕福な人しか買えないという状況になっているようです。
でもそこがスーダン人!
裕福な人は親戚の分まで買うし、近所で買う事の出来ない家庭の分まで買っていきます。
イード祭に、みんなが羊を食べることができるように尽くします。
そこまでしても、イード祭は彼らにとって重要な行事なのです。
さて、その買われた羊ですが、車の荷台に乗せられる時にも全く騒がないのです。
鳴くこともことも、動くことも決してしないんですよ。
おとなーしく、買った人の家まで運ばれて行くのです。
私は、自分の供え物としての運命を知っているかのようなその羊を、切ない思いで見ていました。
羊を解体するある男性の仕事を見ましたが、裂いた後は部署ごとにきれいに洗い
布の上にきちんと並べて大切に扱っている光景を見た時、供え物の意味が理解できた気がしました。